2019年9月29日
徳和駅前の街道~伊勢内宮
伊勢街道も本日で最終日、昨日の徳和駅まで戻ります。
7時25分 スタート
16時30分 内宮着
44.038歩 26.42㎞
昨日の起点、右徳和駅踏切を渡り下村集落を進みます

踏切より右のJR徳和駅

真っ直ぐな街道、朝も早いし人通り見なく静かです

左に 常夜燈 天保二年(1836)建立。加茂川橋の袂

街道を挟んだ向かい橋の袂に 大日寺の町石「片岡山大日如来是より三丁」と刻まれている
すぐ先の真盛川の左岸堤防上の 女人の供養塔 を見逃しました。常夜灯 は天保2年(1836)建立加茂川橋の袂

42号線と交差する上川西信号交差点を横断

右に 禁酒の神 沖玉の夫婦石


禁酒の神前の街道

すぐ右奥に 八柱神社

拝殿

少し南側756号線沿いに 上川神社

街道に戻り連子格子の家並みを進みます

少し先右手に 曹洞宗紫金山佛名禅寺

左に 道標 「従是外宮四里」 弘化三年(1846)建立


道標前の街道、連子格子の家があります

道標の少し先右奥に 浄土宗浄林寺

更に街道を東に進みます

暫く伊賀町の集落を進んでいくと右に おもん茶屋跡 白壁・虫籠窓の家。近くに おかん茶屋 があった。へんば餅が名物


街道を振り返る、連子格子の家があります。
この街道筋にはまだまだ昔懐かしい家並みが続き歩いていても疲れウィ感じさせない

真宗高田派願証寺

更に街道右奥に 臨済宗光応寺

街道を西へ

豊原南信号交差点を横断

更に400m程進んだ先で37号線の櫛田信号交差点を横断します

交差点から右斜めの街道を入ります




稲荷大明神の鳥居の脇に大櫛神社の碑
「櫛田大市明治三十二年二月五日創立・・・」と刻まれ自然石の後方に、角柱型の碑

稲荷より100m程先で櫛田川の堤防に突き当ります

突き当たる堤防袂右に 道標「左 さんくうみち□□」と刻まれ、文化二年(1819)建立

道標のところで堤防に上がらず、左の道に折れます。街道の家並みを100m程進みます

そして突当りを右に折れた筋

100m程進んだ先突当り堤防です。正面に 元標 大正三年建立。ここの旧地名は櫛田村大字豊原。
ここはかつての 櫛田川の渡し跡 です

元標
距離「松坂元標一里二十九町三十四間」 距離「宇治山田元標三里二十町四十一 津元標六里十二町・・・」
「宮元標二十五町三十一」

堤防上から元標、今歩いてきた豊原集落の街道を振り返る

堤防上から櫛田川の対岸への、かつての 渡し場跡。春・秋の渇水期には仮橋が架けられ、夏・冬の増水期には舟で旅人を渡した、橋銭・舟銭を徴収していたという。
櫛田川は、斎宮が川に櫛を流してしまったところから名がついたと伝わる

堤防を降りて200m程進み、前方の櫛田橋を渡ります

途中堤防右下に、前述に左に折れた辻があります。堤防袂には 道標

櫛田橋から左(東北)の眺め

櫛田橋から右の眺め

櫛田橋から左斜めに入るこの先の旧道

櫛田橋南詰から振り返る

櫛田橋南詰信号交差点を左に少し折れます、そして堤防右に下ります

南詰の堤防よりかつての 櫛田川の渡し跡 を見る

堤防より右に下った先の集落を進みます

少し先右に 浄土宗医王山大乗寺

隣の早瀬馬神社のまえの街道

早瀬馬神社の傍の石 大きな石碑
道標は、「右 けかう□□」「左 さんくう□」文政十三年(1816)建立。渡し場付近からここに移したもの

早瀬馬神社


すぐ先右に 石地蔵
石地蔵は、天保九年(1838)建立。機殿(はたどの)道との分岐点

暫く街道を東に進み、やがて稲木の集落に入ります。かつては茶屋や旅籠が点在していた。大稲木の信号交差点を横断します

左に 六字名号碑
文化十四年(1817)建立。大稲木集落の西口で正面に6文字の梵字が刻まれている


名号碑の前の街道を振り返る

右手奥に見える 浄土宗永木寺

祓川に架かる祓川橋を渡ります江戸期は渇水期には仮板橋をかけ、増水期には舟で渡したが、それぞれ橋銭、舟銭を徴収したそうです。左手に近鉄山田線の漕代駅があります

祓川を渡り祓川集落に入ると左に 道標 「従是外宮三里」と刻まれている、弘化四年(1847)建立

連子格子の家が点在する斎宮の街並みに入ります

この街筋には、駕籠屋の溜まり場、馬の取り継所、立場茶屋があり、明治以降は人力車・馬車の溜まり場になった。

斎宮小学校前信号交差点に出ます

さらに東へ170m程進んだ左奥に斎宮駅があります

更に150m程、切妻連子格子家並みをすすみます

右T字路を左に【寄り道】をします近鉄山田線の踏切を越えると両側に公園が広がります

踏切を越えた左に立派な「いつきのみや歴史体験館」が建っています

体験館を左に見て踏切から真っ直ぐ綺麗な道を300m程進んでいくと、正面に杜が見えます。
斎王の森史跡公園



斎王宮跡の碑


森には、掘立柱建物の柱跡や井戸の復元、斎王・大伯皇女の句碑 があります


斎王の森から振り返る

東側には さいくう平安の杜 の建物

街道に戻りすぐ左に 秋葉神社と庚申堂
観音寺跡の牛場公民館西隣。観音寺と境内が同じ、もとは八王子と称していた宇志葉神社があったが、竹神社に合祀された

秋葉神社前の街道沿い左に 斎王宮之遺跡碑

その横に、観音寺跡の標柱と竹茗舎の案内板


すぐ先、竹神社
前信号交差点の左奥に 竹神社斎王祭りの斎王行列の出発点

境内の大きな 常夜燈

拝殿 謡曲 「絵馬」に出てくる竹神社

交差点少し先右に 浄土宗常照山宗安寺

斎宮地区の街道を進みます

その先の十字路左角に、北野天満宮への道しるべで 道標


道標の前の街道を振り返る

左に有明六地蔵と書かれた案内標示があります

案内標示の傍に 道標

その傍にも 石標 がありますが

そこの左への筋を入るとすぐ正面に中町公民館があります、その敷地内に
六地蔵石幢(有明六地蔵)
永正10年(1513)のもの正面、市川地蔵院跡の空地
庚申堂三棟

六地蔵石幢の傍に 山ノ神五基

六地蔵石幢(有明六地蔵)
永正十年(1513)のもので、古いもので非常に均整がとれ美しい。

すぐ左に 旧家

旧家のすぐ先右の路地を少し行ったところ右に 盃地蔵(中央)と地蔵


街道に戻り少し進んだ左に入る道の入口に 道標二基と街道

斎王の墓への道、寄ってみたいが少し離れているようなので諦める

道標 「斎宮旧跡蛭澤之花園」と刻まれている。天然記念物のどんど花(野花しょうぶ)群生地への案内

道標
「斎王隆子女王御墓従是拾五町丁」と刻む、明治四十一年建立。天延二年(974)病気のため斎宮でなくなった斎王隆子女王の墓への案内

道標の道を入っていくと近鉄の踏切に出て道は消失しています

街道に戻り進んだ先の勝見信号交差点を横断します

信号交差点の手前左に 山ノ神三基

少し進んで川に架かる橋を渡ります

橋の先右に、斎王参向古道の案内標示 今はこの先、古道は無くなっているようですが

少し右に入っていきます

先には、明和病院・看護センターが建っています。古道はよくわかりません

元の街道に戻ったところから、反対の北側を見たところ。墓に行ってみたいが先の時間が分からないので残念ですが諦めます

その先左の上野公民館の傍に 臨済宗長松山安養禅寺

境内に立つ 明星水(井戸)の案内 清水の湧き出る井戸水で、江戸時代、寺では明星水を汲み上げ参宮者たちへお茶の接待をしました

安養寺は永仁五年(1297)創建の古刹で、門前はかつて賑わった

境内に置かれている 鬼瓦

本堂の裏に入っていくと 明星水の井戸 があります



境内の 庚申堂、地蔵と五輪塔 地蔵・五輪塔は元禄十五年(1702)建立

上野地区の街道を東へ、かつて本明星ともいわれ、多くの茶屋が並んでいたそうです

この辺りから緩やかな坂道となる、そうめん坂 と呼ばれた昔、この辺りにそうめん屋があったところから呼ばれた、他にも食べ物・ぞうり・傘等売る店があった


やがて上野信号交差点を横断します

大堀川に架かる橋を渡ります

橋を渡った右に、そうめん坂の標柱

るやかな坂を上っていきます

やがて右に 真宗高田派転輪寺 表門は 江戸時代田丸城内の門と伝わる

庫裏は 江戸時代の元本堂で明暦年間(1655年ごろ)建築

街道左には切妻・連子格子の立派な民家

街道右手にも旧家が並びます


やがて左に明星郵便局があります

すぐその先の信号交差点を横断します

新茶屋(新茶屋村)に入ります。心明星とも呼ばれ、旅籠や立場 があった

右手の杜は 八柱神社

右T字路の左角に 道標 「従是外宮二里」と刻まれている 嘉永6年(1853)建立


この辺り、新茶屋(中)

新茶屋集落が過ぎるあたり左に 弘法大師堂 江戸時代には参宮者の信仰を集めた

大師堂前の街道

大師堂の先から伊勢市に入ります

伊勢市の入り450m程進むと明野信号交差点右角に 徳浄上人千日祈願の塔


敷地内に 庚申堂 寛政年間(1789~1801)の建立と伝わる。千日祈願の塔の奥

徳浄上人千日祈願の塔 その横に 廻国供養碑 寛保元年(1741)建立

明野信号交差点前で街道を振り返る。左が上人碑

信号から400m程右左にカーブして信号のあるT字路に出て右(南)に折れます

南の折れた筋、大きな椎の木が見えます。この椎の木に触ると祟りがあると伝わる

椎の木を振り返ってみたところです。傍には大きな旧家があります

左に 老舗の「へんばや」
へんばとは三宝荒神など馬に乗った参宮客が、ここで馬を返して一休みした(返馬)茶店から名づけられた。こし餡の入った小さな大福餅

へんばやの街道を挟んだ向かいの椎の木に触れると祟りがあると伝わるそうです。振り返ったところ

その先で、相合川に架かる相合橋を渡ります江戸時代は土橋であった

橋より180m程先、新出信号交差点で分岐するの右に取ります

右に入った左に庚申堂

庚申堂 安永(1772~1781)の建立。新出集落の入口にあります

新出集落の真っ直ぐな街道を南へ

街筋には切妻・連子格子の家が建ち並びます振り返ったところです

新出集落を抜けたところで、外城田川に架かる惣の橋を渡ります。街道は真っ直ぐの道。この川は、平時は水量が少なく雨が降ると一気に水かさが増えるので、別名貧乏川と呼ばれていた

小俣地区に入ります。左に小俣小学校

小学校の塀際に 小俣町道路元標


小俣町元町で十字路を横断します

十字路から180m程進むと、札ノ辻 に出ます
街道は左に進みます。右の真っ直ぐは 離宮道

左に折れる右角に 紀州藩高札場跡碑


札ノ辻を左に折れたところから振り返る。向かって左に進むのが、斎王が伊勢参宮時の宿泊所であった
離宮院跡への離宮道

左に折れて200m程進みますと突当り右に折れます

右に折れる左に 浄土宗照国山

右に折れて150m程南に進みますと再び突き当たるので左に折れます

左に折れた小俣宿の集落を350m程東に進みます。かつての宿場なのか、この筋に 本陣 があったようです

集落の東の右に 坂田の橋跡石柱



すぐ左には、鳥羽藩高札場跡碑

汁谷川に架かる宮古橋を渡ります。左に三重県南部自動車学校があります

橋の西詰左に、参宮人見附碑

宮古橋を渡るとすぐに宮川の堤防下の信号に出ます。かつてはそのまま右斜めに 渡し場跡 で対岸に渡っていました。丁度右の宮川橋の東袂に出ていました

堤防上より今来た街道を振り返る

堤防下の信号を右に折れて宮川橋に迂回します。途中JR参宮線の高架を潜ります

高架を潜り 宮川堤(県指定名勝)を見て左の宮川橋を渡ります

宮川に架かる宮川橋ですが、結構車が多いのに珍しく歩道ないうえに歩くところの白線もない危険な橋です。学生さんたちとも会います

宮川橋より右の景色

宮川橋東詰めからかつての 渡しの跡を見る、斜めに(JR線)を越えて対岸に渡っていた

宮川橋を渡った街道

橋を渡った先左に案内板


案内板より宮川橋を振り返る

宮川地区を暫く進みます高架道路を潜り右にカーブします

50m程先十字路左角に 道標



道標から100m程先で左にカーブします

さらに50m程先の十字路で右斜めに横断します

更に60m程進んだ先で37号線の中央分離帯のある車道に出ますので左に折れます

37号線を180m程進んだ信号交差点で右に折れます。交差点を左に折れていくと、参宮線の山田上口駅です

右に折れて160m程南に進んだところで、デイサービスセンターの手前の筋を左に折れます

更に80m程進んで右に折れる

右に折れて更に80m程進むと、筋向橋信号交差点に出ます、正面に百五銀行があります。
交差点の右から 伊勢本街道 が合流してきます

伊勢本街道が交差点に合流するところを見る。伊勢街道は伊勢本街道と重複して伊勢神宮へ、百五銀行の過ぎた横の道を右斜めに折れます

交差点右の 伊勢本街道

すぐに 筋向橋の欄干 があります。
今は地下が水路となっていて、嘉永二年(1849)の欄干のみが残る。もとはもう少し北にあったそうで、江戸時代には、江戸日本橋から伊勢筋向橋までの距離を測ったそうです

筋向橋と交差点を振り返る。向かって正面左の道を歩いてきた

すぐ右奥に 浄土宗梅香寺


南宮町バス停のすぐの信号交差点を横断します

交差点を横断したすぐ右に 真宗大谷派光明山常照寺

この付近に 福島みさき太夫邸跡 徳川将軍家の祈祷所もつとめた格式の高い御師で、この付近に広大な屋敷を構えていた。邸宅の立派な門は、現在神宮文庫入り口に移築している
左に旧家

その先右NTTネオメイト三重の建物前の信号を越えます。かつては信号から右斜めに旧道は進んでいたが今は消失しています

その先120m程進むと信号交差点に出ます

交差点左角に 道標 「月よみの宮さんけい道」 明治26年建立


交差点を右に折れます。100m程で外宮に突き当ります。突き当る右辺りにかつての消失した旧道が来ていました

突当りを左に折れた街道ここで伊勢神宮外宮に【寄り道】をします

伊勢神宮外宮 (説明するまでもないので写真のみ)何度も来ています
豊受大神宮という。内宮が伊勢に鎮座して約500年後に、天照大神の食事を司る神として丹波の国から迎えられた豊受大神を祀る。米作りを始め、衣食住すべてに関わる産業の神様。(資料より)


ここよりは撮影禁止



外宮正面の街道に戻ります

右に神宮を見て300m程進みます

途中で写真の正面の左の道に入りますが、信号がないので少し通りすぎて信号交差点で迂回して、写真の正面右の道に入る

左に入る道左角に新しい 道標

道標を左に見て100m程西に入ると、少し変則な信号交差点に出ます。正面の三階建ての白い建物の手前を右に進みます

信号を横断する右角に新しい 道標

横断した右手に 永代常夜燈

傍に政治家、濱田国松邸跡の碑が建つ

暫く進むと近鉄鳥羽線の高架を潜ります

少し進み、勢田川に架かる小田橋を渡ります江戸時代までは、本橋の横に小橋(仮屋橋)があり忌服の人や生理中婦人は小橋を通ることになっていたそうです

小田橋を渡った左角に説明地図や新しい 道標二基 と以前からの 道標一基 「すぐ御さんぐう道」弘化四年(1847)建立

小田橋を振り返るが、街道は手前を進むが、橋を渡って左に道標を見て左に折れる道は 二見道 で勢田川に沿って下流に続く旧道で、二見興玉神社 への参拝者が船で二見まで来た旅人が利用した旧道

この先暫く緩やかに坂が続く 尾部坂を進んでいきます。「間の山(あいのやま)」ともいい。このあたりに、三味線や胡弓を鳴らし旅人に投銭をお願いすることで有名だった芸人、おすぎ・お玉がいた

備前屋跡の碑 と街道

郵便局の手前交差点を越えた左に新しい 道標

その先で近鉄鳥羽線を高架道路で渡ります

高架道路手前右に 遊郭油屋跡碑 歌舞伎「伊勢音頭恋寝刃」の舞台。
この左奥に 大林寺 があり境内に油屋で起こった刃傷沙汰の お紺と孫福翁の比翼墓 があったが逸した。寛政八年(1796)遊郭油屋に町医の孫福斎はなじみのお紺を他の客に引かれたのを恨み客や奉公人を殺傷自刃して果てた、二人の墓があります

高架道路からの鳥羽線

少し先左に 長峰神社 「いずめさん」ともいい、あまのうずめのみことを祀る。このあたり昔は、寒風の里といった


左に 浄土宗寂照寺 徳川家康の孫千姫の菩提を弔うために創建された 山門は薬医門で勇壮

左に、伊勢古市参宮街道資料館がありますこの辺りは参宮目前の古い街

伊勢自動車道の高架道路の信号交差点を渡ります

高速道路を越えたすぐ左に 道標 「月よみの宮さんけい道」と刻まれ、明治二十六年建立

すぐ右に 桜木地蔵 200mの石柱が建っています

寄らないで入っていく道を見る

桜木地区を進んでいきます

下り坂になる右に大きな 常夜燈二基 大正三年建立


常夜燈からの下りを牛谷坂という

坂の途中左に、 雨宮遥拝所の碑

さらに左に 猿田彦神社境内地の石柱

牛谷坂を下ったところ右に 宇治惣門跡碑

明治維新までここに 番屋 が建っていました

下りきると宇治浦田西信号交差点に出ますので左に折れます。すぐ左手に 猿田彦神社 天孫降臨の時、道案内をつとめた猿田彦命を祀る。開運の神として古くから信仰を集め


すぐ先で宇治浦田町信号交差点を横断します

横断して数十mで右(南)に折れます。右に折れる左の道の向かい辺りに 道標 がありましたが見逃しました「月よみの宮さんけい道」と刻まれた明治27年の建立の道標

すぐ おはらい町 に入ります伊勢神宮内宮の門前町

おかげ横丁 がすぐ先です


おかげ横丁、沢山の人で賑わっています。おはらい町の一角に、切妻妻入や明治時代の洋館などが復元され、郷土料理や名産品の店が並ぶ

おかげ横丁の一角に 老舗「赤福本舗」宝永四年(1707)創業の老舗。休憩がてら店で一服。

伊勢神宮内宮おなじみの 鳥居と宇治橋

五十鈴川に架かる宇治橋 宇治橋は長さ約102mで総檜造りの橋。橋の両側に立つ鳥居は、内宮・外宮の正殿の旧棟持柱で作られる





中は撮影禁止
参拝を終わり戻ります

宇治橋を渡り戻ります

伊勢街道 完歩
この後、バスで宇治山田駅に戻り近鉄で帰途に着く


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